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東日本大震災:南相馬レポート
 4月3日、県外ボランティアを募集しているのに、なかなか行き手がいない思われる「南相馬市」に行ってきました。

 まずはその様子ですが、南相馬は三陸や石巻同様、津波の被害に遭っています。地元の人に「見て帰ってほしい」と案内された場所は、一面泥と所々にまとめられたがれきの山の風景です。建物として存在している家もあるのですが、車が流されて玄関にのめり込んでいたりします。

 この南相馬はさらに原発の30キロ圏内なので、地元の人いわく「災害は進行中」。電気、ガス、水道は幸いなことに復旧していますが、基本的に、ガソリンや食料品などの物資を外から運ぶ人は入ってきませんし、それから、銀行やチェーン、スーパーなどの「南相馬支店」はほぼすべて閉店です。なので、生活に必要なものは、運転できる人は自分で圏外まで買い出しに行き、歩ける人は週に2回ある配給に並び、自宅から出られないお年寄りは、ボランティア頼みという状態です。

 しかし、一応、「屋外活動禁止」エリアなので、ボランティアの数も、よく報道で出る石巻や相馬に比べると少なくなっています。(昨日のNHKのニュースで紹介された「県外ボランティアを募集している地域」の中に、南相馬の名前はありませんでした)

 ボランティア活動で炊き出しの手伝いをしてきた避難所は小学校の体育館で、150人が避難して来ています。全体的に落ち着いてはきているのですが、それでもボランティアセンターのほうに、「自宅待機を今しているが、食べ物がないので避難所のほうに入れる余裕はまだあるか」「下着などの着替えはいつ来るのか」「子供が退屈して困っている」など、ひっきりなしに要望が寄せられていました。それでも、そこはボランティアも組織で動いていて、まだ恵まれているほうだと思います。住民だけで数十人の規模で避難している場所は、いろいろなものごとが一番最後までゆき届かない、ということになっていると想像できます。

 そんな中でも、頑張っている地元の人達は沢山います。ボランティアは、インターネットなどで南相馬の実情をみて集まった県外の人達中心に、初めスタートしたそうですが、今では半数が地元の人で、自分も被災して家が流されている中、ボランティア活動をしている人もいます。

 阪神、中越の震災の時には地元の人と県外ボランティアとの間でのトラブルもありましたが、県外ボランティアは本当に「最終的には地元の人だけでいろいろなことが完結する真の復興」を目指して日々、活動していますし、そんな想いを地元の人はしっかりと受けとって、「自分達でできることはする、できないことは潔く頼む」という協力体制ができつつありました。

 さらに、私達のような「日帰りボランティア」に対しても、とても気を使ってくださり、「あんまりイメージするような仕事はお願いできないかもしれないけれど・・・」などと言いながら仕事を割り当ててくださいました。(行った日は約50人のボランティアが集まり、南相馬が忘れられていないのが嬉しい、というお話もありました。)

 地元の人が異口同音に言っていたのは、とにかく、こういう状況であることをしっかりと知って(東京などに)帰ってほしい、ということでした。地震、津波という天災に続く、原発事故と、その後の政府の対応、メディアの扱いという人災に見舞われながらも、本当の意味で「なんとかしよう」としているのが南相馬です。

 ボランティアの功罪については、いろいろといわれているかと思いますが、ニューズウィーク日本版「ボランティアは押し掛けていい」という論調もあります。現地に赴いて、自分の目で見て、感じて、そして少しだけ役に立ってきてほしいと思わずにいられません。

※4月13日現在、南相馬市は「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」の指定が検討されています。

【吉岡】
2011.04.13

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